無料ブログはココログ

心と体

2015年3月15日 (日)

抗がん剤と闘うためにやったことと3つの決意

2014年6月に小さな乳がんが見つかって手術、放射線治療、抗がん剤のいわゆる3大療法(標準療法というらしい)を主治医に示唆された。

実際は手術するまでは、放射線治療で終了する予定だった。7月に手術をし、腫瘍の病理検査をした結果、そのがん細胞が「微少乳頭癌」という、転移しやすい細胞だったため、手術前の方針を変更して抗がん剤治療まで行うことになったのだ。

抗がん剤治療は、とにかく嫌だった。医師にはやりたくないという意思を伝えた。多くのがん患者が苦しむ原因が抗がん剤治療であることを聞いていたし、抗がん剤でがんが治るわけではないことも知識として知っていた。

副作用として主治医は脱毛としか言わなかったけど、それ以外にも色々あることも予想できた。そして何より東京マラソンに当選していたので、体調が悪くなるようなことはしたくなかった。

夫は最初、「医者のいうことなんだから(素直に従ったら?)」という態度だった。しかし、長女に「パパは勉強しなさすぎだよ!」と一喝され、そこから夫婦で勉強が始まった。

がん、主に抗がん剤に対する賛成、反対の本をいくつか集めた。
抗がん剤反対派の代表は何よりこの先生 だろう。

医者に殺されない47の心得 

一方、こちらの先生 は、近藤先生とは真っ向から違う立場で書かれている。
色々読んだなかで、自分に一番しっくりきたのは石原結實 先生の
この本 である。また、石原先生の治療を実践した
この方 のブログや、

済陽先生
食事療法 なども参考にした。

ほかにもまだ様々な本ー医者の書いた本、患者の書いた本ーを読んだ。

悩んで悩んで倒れるぐらいまで考えて、また、高校時代の同級生(医師になっている人が多い。そのなかでも夫婦で乳がんの専門医をしている人がいる)にも相談し、結果的に抗がん剤治療を受け入れることを決めたわけだが、その時、決意したことがある。

1. 抗がん剤は一生に一度、今回限りしかしない
2. 抗がん剤に負けない身体を作る
3. 抗がん剤が終わったら、薬物を排毒するため、断食療法をする

自分のがんは再発可能性が25%、医師の言葉では、標準療法をおこなえばその確率が半分になるという。しかし、それは何万人もの患者の統計数値でしかない。患者にとっては、0または100の世界なのだ。

がんの正しい治療法なんて、本当は医師にもわからない。患者だってわからないけど、わからないなりに選択していくしかないのだ。今回の選択が正しかったかどうか、きっと結論は出ないけど、3つの決意は守って行けるものだと感じている。

2015年3月14日 (土)

振り返ってみれば-東京マラソン2015と乳がんとの日々(7)

2月22日の東京マラソンは5時間25分という時間でやっと走りきりました。

振り返ってみれば、今まで生きてきた中で一番苦しい2014年の冬を支えてくれたのが、このイベントであった、と実感します。
ウィークデーは2回の朝4時半起き10キロ走、週末はロング走を組み合わせ、とにかく「スタートラインに立つ」それだけを目指して走り続けた日々。ほかのことを考える余裕も必要もありませんでした。スタートすれば、38キロ地点には仲間が待っている、それだけを希望に練習を続けてきました。
Img_1259
7月の手術、8月−9月に6週間通った放射線治療、11月からの抗がん剤治療。がんそのものは風邪よりも軽いわずか5ミリの小さな腫瘍。だけど抗がん剤の副作用はきつかったなあ。まるでパンドラの筺を開けた時みたいに次から次へと出てくる身体の不具合ー脱毛、発熱、便秘、口内炎、味覚障害、発疹(ほっぺは発疹で林檎みたいになりました)、膀胱炎、貧血、疲労、睫毛がなくなって守るもののない目からは歩くだけで涙が流れるーなどなど...

東京マラソンに出る、この一念がなかったら、おそらく自分はそうした身体の不具合の中で溺れて冬眠するような冬をすごしていたと思います。だけど、そうはしたくなかった。自分では忘れていましたが、友人が「私がマラソンに出ることは西洋医学への挑戦」と言っていたと。そう、医師に「無理」と言われて思わず負けず嫌いな自分が覚醒してしまったのですね。

東京マラソンの競争率は約10倍、2年連続で当たった自分は100人に一人の自分。これは、神様のギフトだと、このことには何か意味があるのだと、そう思い続けたことで辛い冬を乗り越えられたのだと感じるのです。

どんなに苦しくても、「希望」は常に残されている。ありきたりのことかもしれないけど、東京マラソンへの意地?が自分を支えてくれた、あの42.195キロを振り返るとき、そのことを実感するのです。
Img_1270

2015年2月 8日 (日)

乳がんとの日々(6)

【走ったぜ、232キロ/1月】
2月5日に5回目の抗がん剤治療を終えました。今回もDVDプレイヤー持参で「ロード・オブ・ザ・リング」の第2作を観ながらの点滴。相変わらず、辛いのがフローズン・グローブ「(通称)ドラえもん手袋」の冷たさです。両手をすっぽり凍らせた保冷剤で包み込みます。末梢神経の麻痺という副作用を起こさないため。また、これをしないと、恐らく手の爪が黒くなる。冷たくて、冷たくて、「もう、ガマンできない、看護師さん呼んで外してもらおう」と、思い詰めるまで我慢すると、何とか、手の温かみが戻って来て、耐えられるぐらいになります。45分で一回交換し、全部で2回、90分勝負です。
点滴は、まず吐き気どめ、次にタキソールと、もうひとつの抗がん剤(名前忘れた)、そして、最後に生理食塩水で、薬を流し込む。全部で2時間かかります。リクライニングの椅子に腰掛け、DVDをセットして、少しでも気持ちが楽になるように気持ちを落ち着けます。
今回は途中、お医者さんが来てくださり、声をかけてくれました。「あと、1回になりましたね。血液検査の結果もあまり気になるようなところはないですよ。ただ貧血が出てます。貧血があると、どういうことが起こるかと言うと、かなり疲れやすいですね。階段登ったりすると、はぁはぁいうでしょう。」(あー、そうだったのか!最近、足を鍛えている割に階段が辛かったのはそのせいか)と納得。「鉄剤を飲む必要はありますか」と尋ねたけど、そこまでではないらしい。(でも、先生は私が走ってること知らないし。ザバスの鉄剤買ってあるから、それで補給しよう)と、考えました。
点滴終わって、会計、薬(抗アレルギー薬)の処方薬をもらったらもう1時。このまま休みたい気分もあるけど、今後何があるかわからないから、有給休暇はできるだけとっておきたいところです。というわけで、午後は職場に向かいました。はあ、昼ごはん食べる時間がない。
抗がん剤は、点滴当日から2〜3日は平気だけど、そのあとから1週間がつらくなります。今回もあまり酷い副作用が出ないように自己管理をしよう。
1月はお正月休みのおかげもあって昨年実績の217キロを上回る232キロを走ることができました。月末には30キロ走もできて、2月は「ゆっくり走ること」に慣れ切ってしまった筋肉に刺激を与える予定です。
東京マラソンまであと2週間です。

2015年1月27日 (火)

東京マラソンの目標タイム

1ヶ月前に立てた目標、5時間30分。先週の28キロ走で7分ちょっとで走れた。あと4週間ある。少し目標を上方修正。7分7秒ラップで4時間59分59秒。セコく、5時間切りを狙う。頑張れ自分‼︎
東京マラソンまでの間に抗がん剤治療は1回。そこを上手く乗り切ろう。

2015年1月24日 (土)

東京マラソン:ナンバーカード引き換え証が来た!

【ナンバーカード引換証が来た!】
乳がんが見つかって半年。諦めず走り続けて半年。遂にナンバーカード引換証が届いた。今日の走行距離は28.7キロ。走り込みたい30キロまでもう少し。あと一月、油断せず、体調管理しながら本番を迎えたい。


2015年1月20日 (火)

乳がんとの日々(5)

今回は、警戒しているにも拘らず、口内炎になっている。歯茎が腫れたり、歯が痛かったりする。味覚障害もあって、口の中も痛いので食べることに対してていこあがある。食べることが楽しくないとか、美味しさを感じにくいとか、本当に嫌だな。
2度とこんな治療は受けないって改めて決意しました。

2015年1月16日 (金)

乳がんとの日々(4)

【抗がん剤4回目を終わって】
2015年1月8日、やっと後半に入りました。今回は、お正月に「初売り」で!しかも終業ビックカメラのポイントで結局お金を使わずに手に入れたポータブルDVDプレイヤー持参で、気になっていた映画、「ロード・オブ・ザ・リング」持参。担当医の先生は相変わらず注射が下手で、点滴用のポートを作るのに四苦八苦していましたが、まあ、細かいことは気にしない。
3回目以降の副作用はあまりなかったので、特に申告することはありません。(自己管理の結果です)
2時間の点滴の前半、凍らせたドラえもん手袋をしながらその日は4時半起きの早朝練習と朝1番に三越前まで歯医者さんに出かけた疲れでDVDはつけながらも爆睡。
おかげで凍傷の痛みは感じなかった。できれば点滴の間ずっと寝かせてくれれば手の凍傷の痛みはないかもしれない。
さすがに昼間2時間寝ることはできず、後半は凍傷の痛みとの戦い。ビデオも前半寝てしまったせいでストーリーがわからない。
ま、とりあえず、DVDは楽しめる、という実験は成功かな。
その日は午後までかかったので仕事はお休み。帰宅後はのんびりしました。
金曜日さえ頑張れば三連休。11日には谷川真理ハーフマラソンがある。

何とか、半分終わった!

2014年12月26日 (金)

乳がんとの日々(3)

自分のがんのタイプ、微小乳頭浸潤の再発率は25%。癌の三大療法である手術、放射線、抗がん剤療法をすればその確率が半分になる、という。
抗がん剤の副作用の激しさは、色々聞いている。吐き気、脱毛。何より、自分は2年続けて東京マラソンに当選している。がんは手術で取り去った。なんで生活の質が落ちるようなそんな治療をしなければならないのか?
次から次へと疑問が湧いて来て、考えれば考えるほど「そんな治療は拒否してしまえ」という結論がでてくる。
色々な本を読んだ。
石原結實先生
「もしがんになったら、でもならないために」
http://http://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/4898317006/ref=mp_s_a_1_14?qid=1420675062&sr=8-14&pi=AC_SX110_SY165_QL70
済陽高穂先生
「今あるガンが消えていく食事」
http://http://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/4837612199/ref=mp_s_a_1_1?qid=1420679527&sr=8-1&dpPl=1&dpID=517tD4w4LqL&ref=plSrch&pi=SY200_QL4
新谷弘実先生
http://www.amazon.co.jp/病気にならない生き方-ミラクル・エンザイムが寿命を決める-新谷-弘実/dp/4763196197
近藤誠先生
「医者に殺されない47の心得」
http://http://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/4776207648/ref=mp_s_a_1_1?qid=1420679428&sr=8-1&pi=SY200_QL40&dpPl=1&dpID=51bHYxcIkhL&ref=plSrch

その他、患者さんの立場から書かれた本、ブログ…

お医者さんが書いた本は、大体ご自分の経験から。基礎研究ではなく、臨床の立場。本によってそれぞれ言うことが違う、、どれを選ぶかは、自己責任だ。

高校の同級生にはお医者さんになっている人も多い。その方たちの意見も聞く(抗がん剤には肯定的だった)

主治医は「僕は迷いなくやります」とおっしゃる。

本当に、「体調を崩すほど」悩んだ。夫はもともと、「医者のいうとおり」の人だったが、長女に「パパは勉強しなさすぎ」と一喝されて、一緒に勉強した。

結局、世の中の大勢に抗うほどの知識も、また、勇気もなく、標準治療を受け入れることにした。ただし、自分の中で決めたことがある。
1.抗がん剤治療は2度とやらない。つまり、体質改善により、再発しない身体を作る。
2.抗がん剤に負けない身体を作る。治療中の自己管理をしっかりする

実際には、いざ治療が始まったら、次から次へと副作用がでてきて、それぞれ対応を迫られたのだが、こうした経緯を経て、抗がん剤治療を受けいれることになったのである。

2014年12月15日 (月)

乳がんとの日々(2)

【放射線治療】
手術後、夏には行きたいところがあった。青森。
田んぼアートを見に行きたいと思っていた。もちろん、バイクで。600キロの距離をひたすら北上するのだ。この話は、別途、ツーリングの項目で書きたい。
治療はそのあとにした。一旦始めると、休むわけにはいかない。6週間、週末を除いて毎日照射しなければならない。
東京マラソンに当選していたため、練習もしなければならない。仕事も休みたくない。
今まで仕事帰りにしていたランニング練習を朝、することにした。仕事は、1時間半遅く始業させてもらうことにし、終業時間をその分ずらすことにした。週2回は朝練を入れた。火曜日、木曜日は朝5時に起き、10キロ走る。それ以外の日はお弁当作り。朝早く起きる分、昼休みは少しでも昼寝をしたい。昼休みの短い時間を少し横になるだけで午後の能率がいいことに気づいたので、できるだけお弁当をつくり、横になる時間に作った。職場には幸い、一人になれるソファのある部屋があった。
毎朝7時半には家を出て、病院に駆けつける。受付が始まるまで立って並ぶ。病院が開いたらすぐに照射の順番をとる。会計まで終わって9時。それから1時間半かけて職場に出勤。
6週間続けた。練習も欠かさず週2回10キロ。
放射線治療は秋分の日の次の日、9月末に終わった。
次の治療は、「死ぬほど嫌な」抗がん剤治療だ。

2014年12月14日 (日)

乳がんとの日々(1)

5月に行ったマンモグラフィの結果、いつもとは違って「石灰化」が見られる、ということで、マンモトームと言う病理検査を行うことになった。結果は乳がん。ゼロ期と言うことで、あまり心配しなかったが、すぐに手術が決められた。
乳がん宣告の翌々週には手術。7月7日に入院、8日には局所麻酔による手術。8日には退院と言うスピード入院。大したことない、とタカを括っていた。
7月23日の再来の日、医師は病理検査の結果が予想外であることを告げた。「微小乳頭浸潤」。このタイプは転移しやすく、予後が悪いという。幸い、まだリンパ節転移はなく、再手術の必要もない。しかし、放射線治療は非浸潤よりも1週間長い6週間、その後、抗がん剤治療をするという。
長い治療生活の始まりだった。