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2014年12月15日 (月)

英語しかできなかった(2)

大学卒業時には、婚約していた。相手は転勤族だった。

就活もせず、4年次には卒業論文の作成と、通訳学校に時間を使っていた。

プロとして、日本全国、何処にいても働くことができる、ということを目標にしていた。それには、通訳がいいのでは、と考えた。

とにかく、いつでも稼げることを目指していた。結婚は永久就職とか言われるけど専業主婦になる気はさらさらなかった。自分が稼ぎにこだわる理由、誰しもそうだが子ども時代の経験が大きい。

私が中学3年の時、高校3年だった姉が突然死した。朝「行ってきます」と出かけ、昼には亡くなっていた。死因は心筋梗塞と書かれていたが、これは原因がわからない時の表現。父が娘のからだが切り刻まれることに堪えられず、解剖を許さなかったので、死因不明のまま姉は荼毘に付された。

その頃の私は学年トップの成績、中学2年生の時には学校始まって以来の女性会長になる、水泳でも学年1番、文武両道の、そして留学を夢見る、元気女子だった。

しかし、姉の突然死により、大阪の個人商店の次女は、突然一人娘になってしまった。

さて、そうなると何が起こるかと言うと、今まで放任だった娘を箱入りにするという両親の過大な干渉がはじまったのだ。大した資産もないくせに、「清美ちゃんは養子とり」だの、「跡取り」だの親戚うちで喧しい。

高校は、国立大学の附属高校に進学した。当時は名門進学校だ。商業高校卒と高校中退の両親からすれば親戚に対して「トンビが鷹を産んだ、と言われる上出来な自慢の娘」だ。だけど、2人にとって自慢ネタ以外の価値はない。

さて、そんな体験をした感受性の強い高校生は、どう考えるようになったかと言うと「養子とりするなら勉強なんかしなくていいやん」ということ。

今まで背中に付けていた羽根がまるでもがれたように羽ばたく気力がなくなった。

もう、この家から出ることはないんだ、一生大阪で暮らすのか…

描かれる将来は、急にしぼんだものになった。

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