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2014年4月

2014年4月28日 (月)

30001キロの独り言

昨日のツーリングで、愛車VTR250ccのオドメーターが30001キロを記録した。2010年6月のある日、バイクの師匠から、「いつものバイクショップにいい中古が入ってるよ」とメールをもらい、週末まで取り置きしてもらって見に行った。そのときのオドメーターは3000キロ。一目で気に入り、即決で購入を決めた。それまで、バイクはレンタル派だったのに。そして納車が7月。初乗りは灼熱の東京都内走行。風は生ぬるかったけど、ドキドキのライディングだった。
それから27000キロ、立ちゴケ2回で2度の骨折、転倒とかも多少あるけど、事故なく、安全運転で北は北海道、西は鈴鹿、東は犬吠埼、南は房総半島南端まで、いろんなところに行った。

いつもいつも天気が言い訳ではなく、むしろ悪条件も多かった。土砂降りの雨、劇寒、酷暑。でも季節を感じ、景色を楽しみ、美しい日本のあちこちを見て回れた。歩く旅、鉄道旅も好きだけど、鉄道で行けないところにも行ける。車だとサービスエリアで全くの他人に声をかけられることはないかもしれないが、おばさんライダーは珍しいので、声をかけられることも珍しくない。あるときなどは中国人に記念撮影を頼まれたこともある。
さあ、季節も良くなった。もっともっとギヨコと一緒に美しい日本を見て回りたい。

2014年4月22日 (火)

2014年4月20日かすみがうらマラソン記

2014年4月20日霞ヶ浦マラソン記
今シーズン最後のマラソンと位置づけた霞ヶ浦マラソン。東京マラソンの記録も完走も1度切りの「マグレ」にしないように、と2ヶ月ぶりのフルマラソンへのチャレンジとなった。東京マラソンで自分を支えたのは、大勢の仲間や家族の応援、そして「できることはすべてやった」という自信だった。
岩本能史さんの著書「非常識マラソンメソッド」「非常識マラソンマネジメント」を何度も読み、書かれていることをほぼ実践した。
東京マラソン大会直前の12月、1月、2月の月間走行距離はそれぞれ200キロ、217キロ、そして100キロぐらい。自分の持てる時間と体力、走力ではほぼ限界。でも2月初旬には30キロ走がちゃんとできた。
比べて3月、4月はそれぞれ80キロ、70キロ。油断したのではなく、とにかく忙しかった。4月初旬には30キロ走に失敗、24キロでギブアップする始末。
でも、体調は悪くなく、棄権するほどの不調はなかったので予定通り参加。とにかく、完走しよう、ゆっくりでいいのだ、と自分に言い聞かせた。
当日は曇り。前泊したので、朝はゆっくり。5時半に起きて熱いシャワーを浴びる。朝ごはん食べて、持参したお餅5個を、タッパーに入れたきな粉➕砂糖を周りに敷き詰めてラップに包み、ホテル備え付けの電子レンジで1分弱加熱、2個はホテルで食べて、残りは会場に行ってから食べた。きな粉餅も、そろそろ飽きてきたなあ、来シーズンは、何にしようかと考える。
外に出ると、ランニングウェアの人たちがぞろぞろあちこちにいて一様に川口運動公園を目指している。人波に素直についていく。
会場に行き、荷物を預け、スタート地点(自分はGグループ)に行く。人がドンドン増えてきて、スタート地点まで、人混みを掻き分けて進む状態になってくる。トイレもどこも激混み。今回のゲストは有森裕子さんらしい。大会本部のほうから賑やかな声が聞こえるが、何も見えない。
スタート地点で立ちんぼうしていても疲れるだけなので、ベンチで休憩。お餅食べたり、FB見たり。日がささないと寒い(気温は7.3度だった)。いらないかもと思いながらも念のため持参した使い捨てカイロでかろうじて体を温める。
9時に車椅子マラソンスタート、10時にやっとフルマラソンスタートとなった。と言ってもGグループはスタートまではるかかなたの場所にある。歩きで10分、やっとスタートラインにたどり着く。
0〜5キロ
霞ヶ浦のコースは前半に上り坂が集中している。いきなり陸橋で、その後も幾つかアップダウンがある。最初の上りで消耗したら最後まで走りきれないので、抑えめに、でも、着実に登る。5キロで給水があるが、混んでいるのでウェストベルトに付けているOS 1を飲む。体に水分を保持したいときに飲む水。水分補給には最適。トイレも混んでいるから、あまり行かないようにこのような対策をする。
5〜10キロ
段々巡行速度になる。普段と変わらない。「このまま行けるかな」と淡い期待。10キロで、アミノダイレクト。顆粒状のアミノ酸補給サプリである。筋肉の回復のために使う。いつもむせてゲホゲホになるのだけど、今回はうまく口に入れられた。
10キロ〜15キロ
この辺りで5時間のペースメーカーを追い越す。まあ、いいペース。15キロでショッツ。これは栄養補給ゼリー。とにかく食感が苦手。食べないで済むなら食べたくない。でも、固形物を食べるのも辛くなるかと思うと我慢するしかない。何とか口に入れ、OS1で流し込む。
15キロ〜20キロ
巡行速度。もう少しで半分かとちょっと安心する。20キロでアミノダイレクトとアミノピュア。これもアミノ酸の顆粒。むせながらも、口に入れる。
20〜25キロ
ずーっと田んぼと畑が続く道。あまり変化はないけど、沿道の応援がありがたい。エイドのみなさんにも感謝しながら走る。2つ目のショッツ。うー。これが辛い。でも、最後まで走るため、我慢我慢!
25〜30キロ
スピードは随分落ちた。28キロ付近からは廻りで歩く人が続出。
でも、しばらく前の失敗した30キロ走より遠くに来た!と少し元気がでる。同時に28キロ付近、つまり残り3分の1ぐらいから、歩きたい誘惑が忍び寄る。だけど、歩いてもゴールまでの距離は同じ。帰りが遅くなるだけなので走る方がまだいい、と腹を括って走り続ける。
30〜35キロ
後は皇居2周、いつもの距離、とこれまでの距離を忘れることにする。「ゆっくりでいいから走り続ける」と決める。この頃、5時間のペースメーカーに追い越される。道は狭く、廻りはほとんどが歩く人になっている中で、ひたすら走る。時々、後ろから走る人に追い越されるも、歩く人よりは絶対速い。この辺りでトイレ休憩と、持っていたペットボトルにエイドさんに頼んでBCAA(スポーツドリンク)を入れてもらう。もう、ここまできたら、苦手なアミノダイレクトやショッツは食べたくない、という気持ちになり、スポーツドリンクで凌ごう、と決意。
35キロ〜40キロ
38キロ地点あたりの緩やかなカーブのときに、マンホールのふたの段差につまづき、転倒…を避けた。眼前に地面が迫るほど危なかったがすんでのところでとどまった。東京マラソンの38キロ地点ではすごく元気だったけど、今回は消耗していた。でも、あと少し。しかも陸橋に入って道の舗装がとてもいい状態。走りやすくなった。スポーツドリンクだけで残りの距離は進む。
40キロ〜ゴール
もう完走は間違いない。5時間のペースメーカーには追いつかなかったけど、ゴールが見えたときには涙が出そうになった。家族や仲間の応援も、今日は心の中で感じながらも、ひたすら一人旅。息は苦しくなかったけど、足が上がっていなかった。記録は5時間12分。東京マラソンより30分遅れ。でも頑張った。

次回の挑戦は4時間半切りを目標とする。きちんと練習すれば超えられると思う。とにかく、完走できてよかった。



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